~ 『 We can do it ! ! 』   世界一周  女2人旅 ~
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今日はバスでベルリンンの中心部を観光!!
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と言っても、こちら普通の路線バス。
なのに2階建てなんて超お得!

一番前の席は特等席!
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やったー!空いてた★

普通に車と走ってます。
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(さすが、モロッコの馬車とは雰囲気が違うな。笑)

前のバスとの車間距離近すぎて恐い!
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色んな建物が見れました。いや、見れたはず。
何せ寝てしまったから分らない(苦笑)

この旅も半分を迎えようという ついこの頃。
長旅の疲れが溜まってきたせいか、あんなに眠れない体質だったのに、今や寝ちゃ困る所でさえも眠ってしまう…
電車・バスで腰掛けたら最後です。笑
夜も、他人達が同じ空間にいる中で眠れるようになったし、外がうるさくても眠れます。(浅いけど)
体が「今寝ておかなきゃダメ!」って反応するようになったというか、自己防衛するようになったというか。
最初の1ヶ月くらいは、こんなに寝てないのに よく私生きてるなぁって思うくらい毎日眠れてなかったのに。

鍛えられたな私!!



テレビ塔
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なんだか近未来的な形。


お昼はやっぱりソーセージ!!
ドイツに着てから3回目!!

本日
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(ベルリン)

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(ドルトムント)

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(ブレーメン)

ドイツ人は本当にソーセージが好きであった!!
ソーセージのお店が何処にでもある!


そして、ビールがめちゃめちゃ安い!
0.60ユーロとか!(1ユーロ:約107円)
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ベルリン最後の夜に乾杯☆

明日から2日間、ななみんのオーストラリア留学時代の友人のお家にお世話になります!
GO! シュトゥットガルト!!
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[2012/04/20 23:17] | ドイツ
トラックバック:(0) |


あや
ブレーメンのホットドッグに笑っちゃった~!!
完全にソーセージメインだよね(笑)
馬車も可愛い~☆



えん
ナオピー、おひさ。
やっと新居のネットが繋がって、過去1か月分位のブログをざーーっと読んだよぉ。
楽しんでるねー&結構焼けたね、笑。
すごい素敵な写真がいっぱいで、次どこに行こうかな・・っていうのの参考にしてる。

ドイツはケバブが美味しいから、間に合えば是非トライ!!! 次のチェコもビールは美味しいよ。

いぃなぁー、ヨーロッパ。take care & eojooooy!

Re: あやちゃん
ナオコ
ブレーメンに限らず、ホットドックって感覚じゃなくて、ソーセージがメインな感じ!
お手頃価格でお腹に貯まるので助かります!笑

Re: えんちゃん
ナオコ
をー!えんちゃん!!ネット繋がってなかったんだね!?
まとめて読んでくれてありがとう☆
結局すれ違いで会えなくて残念だったね~
旅友情報だと、やはりジャマイカの治安は悪いみたいだけど大丈夫??
えんちゃんも黒くなるんじゃない?笑


えん
私も黒くなるかな・・?
本当にこっちかエジかで会いたかったよ。
ジャマイカねー、今までの所に比べたら余裕だよ。人が親切だしね。
ナオコも沢山いい出会いをしてね♪

Re: えんちゃん
ナオコ
そうなんだ??
それなら良かった!!
そいえば、ドイツでケバブ食べたよ!
めっちゃ美味しかった!


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今日は真面目です!!文字多いけど、ちゃんと読んで欲しい!!


ベルリンにやって来ました!!
ベルリンと聞いて思い浮かぶのはただ一つ

そう、「ベルリンの壁」です!

名前は知ってるけど、内容をよく知らないという人のために少し。

・ベルリンの壁とは
第二次世界大戦 敗戦国のドイツは、連合国によって東西に分断されました。首都だったベルリンは東ドイツ側にありましたが、英・米・仏が西ベルリンを、ソ連が東ベルリンを分割統治しました。
(以下の図を参照)
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当初、東西ベルリン間の行き来は自由でしたが、経済格差や政治体制への不満から西ベルリンへと脱出する東ドイツ人が増加する一方となりました。
このままでは国家存続の危機に陥ると思った東ドイツは、1961年8月13日、東西ベルリンの境界線をすべて封鎖し、一夜にして壁を構築したのです。(すべての道を遮断し、有刺鉄線で最初の「壁」の建設を開始。6時までに東西間の通行はほとんど不可能になり、有刺鉄線による壁は13時までにほぼ建設が完了した。2日後には石造りの壁の建設が開始された。)
そのため、家族と引き離された人も少なくありませんでした。

東ベルリン市民は、壁に近づくことさえ許されませんでしたが、それでも厳重な警備と壁を乗り越えて、命がけで西側へ脱出した人も居ました。しかし、射殺されたり 事故で命を落とす人も多かったのです。

そして、壁建設から28年後の1989年、外国への旅行の自由化と民主化を求める声が高まり、遂に壁は崩壊。
ほんの23年前まで壁は存在していたのです!



まず、崩壊後に国内外のアーチストらがこの壁1キロ余りの長さに渡って絵を描き、記念碑として残されいる「イーストサイドギャラリー」へ行ってみました。
多くの観光客を集める名所になっています。
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色々な絵があります。
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日本をモチーフにした絵も。
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(私の身長(160cm)と比較して、壁の高さを創造してみて下さい)

この壁が東西を分断していたんだ…
えぇい!憎い!
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実は、壁は2枚仕立てだったのです。
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壁と壁の間には 脱走を防ぐため、犬が放たれたり、仕掛けケーブルに触れると散弾を発射する対人地雷が仕掛けられていました。



次に、第二次大戦後に廃墟と化したデパート跡を、アーティスト達が不法占拠した場所へと行ってみました。
今では認可され、アトリエやギャラリーになっています。

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思うことは、ただただ汚い…
グチャグチャだ。。


そんな寄り道をしつつ、
今度は「ベルリンの壁記録センター」へ。

壁の建設から崩壊に至るまでの流れや、当時のあれこれの映像が見られます。
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その向かいには、壁の跡が。
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(壁が残っているのは、イーストサイドギャラリーとココくらいです)

犠牲者の方々の写真
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左端1961年の犠牲者から、右端の1989年の犠牲者へと流れてゆきます。
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こんなに小さい子供まで
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写真で説明書きがあります。
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学生達も真剣に話を聞いています。
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高校時代にベルリンの壁については詳しく勉強しました。
世界史の先生が、そうゆう所に重点を置いてる方で「激動の世紀」だっけか?戦争のビデオをよく見せてくれ、悲惨な事実を私達に教え、問題提起をしてくれました。(3-6の皆は覚えてるよね!)
家族と生き別れてしまった人や、家族を助けるために一人穴を掘って、見つかって殺されてしまった人の話を聞き、胸を痛めたのを覚えています。
その気持ちが再び、こみ上げてきました。
壁を目の前にして、当時の人たちの事を考えると、悲しくて やるせなくて涙がこみ上げてくる。
こんなの、なんて悲惨な歴史だろう。



今度は、「ザクセンハウゼン強制収容所」へやって来ました。
時代が前後してしまうのですが、今度はベルリンの壁より前のナチス・ドイツの時代です。

・ナチス ドイツとは
国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を掌握していた1933年から1945年の間の元首制的共和国としてのドイツ国を指します。
ヒトラーが総統になってから支配は強化され、ヒトラーの意思に絶対服従し、忠誠を誓うことが義務であるとされました。
1935年に、ヒトラーは「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」と「国家公民法」を公布しました。この中でユダヤ人を公職から追放し、企業経営を禁止し、アーリア人(純ドイツ人とされる)との間の結婚を禁止し、ユダヤ人の公民権も否定することが明記されました。この法律公布後、民間レベルのユダヤ人迫害も増していったのです。


この収容所はとても大きく、1937年には2300人だったのが、開戦時には1万人を超え、さらに大戦末期には4万7000人を超えていたそうです。
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(収容所の全貌)

初めのころは共産党員や社民党員などの政治犯やジプシーなどが送られてきていましたが、そのうちユダヤ人達も輸送されるようになったとのこと。

大量虐殺が目的の収容所ではなかったのですが、反抗的な態度をとると公開絞首刑に処せられたり、「Z施設」と呼ばれる火葬場の近くの隠れ処刑場も存在し、ここで秘密裏の処刑・虐殺も行われていました。
新たな処刑方法として、ガス室も挿入していたといいます。

この収容所では、当時の写真や 囚人が着ていた服等の展示、そして実際に使われていた施設等を見学することが出来ます。(絞首刑台もありました)


収容所の門
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(ナチス強制収容所のお約束の標語「働けば自由になる」(Arbeit Macht Frei)の文字が)

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トイレ
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バスルーム
ここに400人が詰め込まれたと言います。
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大人には小さすぎるベット。
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(ガラス越しだから映りが変です。)

再現された牢獄
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ここで囚人を使った人体実験が行われていたもよう。
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こちらもまた、高校時代に詳しく勉強しました。ナチス時代の戦争映画も沢山見てきたし、ホロコーストの展示会等も行ったけど、自分の目でそれらが行われていた場所を見るのは、その数倍重い…。
ちゃんと学んだからこそ重い!!辛すぎる!

今、世界一周をしていて、人種は違えど 人は皆一緒だな☆って思っていたその矢先…
ユダヤ人ってだけでこんな事されたなんて。。
同じ人間なのによくもこんな事ができたものだな…

この歴史を熱く叩き込んでくれてた、阿久津先生に感謝!!
現地に来た時の重みが違います。
先生と戦争についてディスカッションした時の結論、「戦争を無くすのは無理だから、いかにして被害を最小限に食い止めるかを考える」という現実主義者(先生)と「人と人とが手を取り合えば、この世から戦争を無くすのは不可能ではないと信じ続け、平和活動をする」理想主義者(私)。両極端だけど、このどちらも必要だ!両者が協力していかなければいけないんだ!という話を思い出しました。
(話 端折っちゃって意味分からなかったらゴメンなさい)


この悲惨な過去から学び、二度とこんな事を起こしちゃいけない!
(ドイツに限らず、日本及び世界中の戦争の歴史も然り。)
まずは知ること!そしてこの事実を重く心に受け止めて欲しい!
(自分の身に置き換えて想像してみて下さい)
是非、この事実を一人でも多くの人に知って頂きたい!

このブログが少しでもその一端を担えたら幸いであります!!




<お・ま・け>

ヨーロッパの電車は犬も普通に乗れるんです☆
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今泊まっている宿。(6人部屋)
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(ドイツのホステルは2段ベットじゃなく、こうゆうタイプが多いらしい!)


そして、日本に荷物が届いたー!!

あのロバさん、なんて即効性があるんだ!!笑
ダンケシェン(ドイツ語:ありがとう)

[2012/04/20 03:21] | ドイツ
トラックバック:(0) |


あや
数日ブログ見れなかった間にいろんなとこに行ってたんだね!
今日のブログすごく勉強になりました。
でも実際目にすると重さが違うんだろうな。
想像するだけでも目を背けたいような気持ちになるけど、死ぬまでに一度は訪れたい場所です!
荷物届いてよかったね~(^-^)/
さすがロバさん♪(笑)

Re: あやちゃん
ナオコ
うん、色んなとこ行ってた!ヨーロッパならではの移動だよね!

是非訪れて欲しいな。そして子供に語り継いでください☆


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